2013年 02月 27日
山口静一[フェノロサ 上―日本文化の宣揚に捧げた一生] |
というところから読んでみました。
もとは政治学の先生として来日。明治維新後の廃仏毀釈のムードの中でお雇い外国人は、がんがん日本の美術品を買っていて彼もそんなひとりだったようです。
やがては目利きとなり、息子にも「カノー」(狩野派)と名前をつけてくらい、知るほどにのめり込みぶり、笑 かなりの日本オタクですね・・・
同じくをボストン美術館へ日本陶磁器約5千点をどーんと譲渡したエドワード・モースはあの大森貝塚の発見者ですが、彼ももとは海生生物の採集のために来日しています。
しかしいまどきありえないくらいの小さい文字で上下巻@_@;)
最初の疑問は長い序文でクリアしてしまったので流し読みでした~。
by MaisondeChapeau
| 2013-02-27 11:21
| book,art&cinema